春めいてきたある日、ぼくは突然の衝動に駆られた。
その衝動は、どこから来たのか。
そんなことはわからないまま、テレマークスキーの板とバックパックを手に、北へ向かう新幹線に飛び乗ったのだ。
やってきたのは、青森県の八甲田山。死の行軍、「天は、われわれを見放した!」で有名な山だ。
この山域は、4月下旬でもじゅうぶんに雪がある。例年だと、GW明けでもまだまだ雪と戯れることができる。今回、ぼくが訪れたのは4月20日前後のことだ。
八甲田山は、スキーを楽しむ人が多い。
が、そのほとんどは北八甲田の山塊だ。
ロープウェイを利用して、標高1300メートルあたりまで上がり、そこから滑るルートがいくつもある。それらは、古くからツアースキーをやってきた人たちによって作られてきたルートだ。
ぼくも、いままで何度もこれらのいくつものルートを滑った。
今回の旅でも、クラシカルなルートから大きく踏みはずしながらも、北八甲田の山塊を楽しんだ日々もあった。
が、今回は、南八甲田の山塊を縦走する、というのがわが目的だ。
北八甲田山に比べ、南八甲田山は、訪れる人が圧倒的に少ない。四季をとおして。
簡単にいえば、人気のない山塊なのだ。
ロープウェイもないし、夏道でさえ、藪だらけではっきりしないし。
いうまでもなく、そういうところが大好きなのである。
だから、ぼくは八甲田山へ来るたび、南八甲田の山々を徘徊している。四季をとおして。
事の起こりは、もう20年以上も前のこと。
妙高高原に住む村田耕蔵さん(このテレマークおじさんの説明は割愛する。なんせ話が長くなるから)が、机の上に2万5千分の1の地形図を数枚、広げながら、「ここから歩いて、ここを登って、さらに主峰の櫛が峰を越えて、さらに西へ西へとこの稜線を滑っていけば『青荷温泉』までいけるぞ」と、上気した声でいうのだ。
なるほど、ほんとに行けそうだ。
よし行こう。行くしかあるまい。
と、ぼくは友人たちと出かけたのだった。残念ながら、言いだしっぺの村田さんは、そのとき運悪く所用があり行けなかった。
地図を眺めながら、旅のルートを自分で探す。そして、そこへ行ってみる。
そうした旅が、楽しくないわけはない。
そして、それができるのがバックカントリースキー旅なのだ。
夏山ではルートがないコースは、藪などで覆われていて歩くことができない。しかし、雪に覆われている時期なら、行けるのだ。
でもそこには、大いなる危険もはらんでいる。
迷子や、雪崩や、滑落や。そんなことは、当たり前なのだ。
でも、出かけるのだ。
いや。
だから、出かけるのだ。
と、書く方が正確だろうな。
人は、遊びと危険にこそ魅かれるのだろうな。ニーチェも、そんなふうなことをいっていたはずだ。
青森へ到着したぼくは、まずは北八甲田山をめぐった。
久しぶりにテレマークスキーを履いて、バックカントリーへ浸透していった。
あの日の衝動は、正しかったのだ。ぼくは、こうした山々を歩きたかったのだ(泣き出しそうな急斜面もあったけど……)。
そして明日は、南八甲田山へ向かうのだ。
(つづく)