「釣り」という遊びは、不思議だ。
人類最古の遊び、ともいわれている。
でも、それは「遊び」だったのか「漁」だったのか……。
「漁」と考えるか「遊び」と思うかはともかく、実益を得ることもできる「遊び」、というのはあまり類をみない。
山に登っても、川下りをしても、たいてい実益はないからね。
つねづね「趣味や遊びは、役に立ってはいけない」と、ぼくは思っている。
結果的に役に立つことがあるかもしれないけど、それはあくまで結果であって、はじめから「役立つ」ことを望んで、趣味に挑んではいけないのである。
と、ぼくは信じている。
若き日のある日、フライフィッシングに魅せられたぼくは、もともとの川好きということもあり、せっせと渓流へかよったのだった。
源流でのイワナ釣りが好きだった。
そしてごく最近のある日、WILD-1「多摩ニュータウン店」の釣り名人・角田太郎と店頭での立ち話から、「テンカラフィッシングへ行こう」となった。
*角田太郎との釣行日記は、2年前の春に、このBlogにも書いた。
◆法螺吹き男爵の「芦ノ湖フィッシングキャンプ」(2015.4.1)
◆法螺吹き男爵の「釣れ釣れ草~芦ノ湖篇」(2015.4.15)
テンカラ釣りは、毛鉤を使った日本古来の釣り方である。昔は、テンカラで糧を得る川漁師も多かったという。
パタゴニアのイボン・シュイナードが「Simple Fly Fishing(シンプル・フライフィッシング)」と呼ぶ釣りでもある。
「フライフィッシングができるなら、テンカラはかんたんです」と、太郎がいうのから問題はないだろう。
さて、川へ。という段になって、突然、太郎が「口は堅いですか?」と、聞く。
なんでも、これから行く川は秘密にしておきたい、というのだ。
「酒を飲まない限りは、堅い」と、わたくし。
「あっ、でも飲むとすぐ忘れる」ともつけくわえた。
「じゃ、ずっと飲んでてください」と、ビールとワインを手渡された。
というわけで、ここは秘密の川ではなく、名前も場所も覚えていない川なのだ。
釣りは、魚を釣り上げることだけが目的じゃない。とくに渓流での毛鉤釣りは。
ぼくはそう思っている。
その日の状況に合わせた毛鉤を選ぶ。川の流れを見つめ、魚が隠れている場所を思い描く。その魚の上流に毛鉤をそっと落とす。さらに、魚の頭上を、毛鉤がまるで虫であるかのように自然に流がす。
キャスティング技術を駆使し、毛鉤で魚を惑わす。「ここだ!」というところで魚が毛鉤に飛びだす。
これこそが、毛鉤での渓流釣りのだいご味である。
森羅万象を全身で感じ、自然界を推理し、わがキャスティングの技術を信じる。そうして、魚ががまんできなくなって飛び出すのを待つのだ。
それに気持ちのいい河原を見つけたなら、川の流れる音を聴きながら、のんびりしたい。
なので、デイパックにはコーヒーセットを忍ばせ、この川の水でコーヒーを淹れよう、とたくらんでいたのだ。
しかし、今日のところはそんな余裕がない。
なんせ、釣れないのだ。釣ることだけが目的じゃないけど、やっぱり一尾ぐらいは釣りたいよな。
名人・太郎は、大きなヤマメを釣り上げて、満面の笑みだ。
選んだ毛鉤に間違いはない(たぶん)。
川はいい。魚影が何度も走った。
しかし、川面は割れない。魚は、答えちゃくれないのだ。
なんでだ?
もうこうなったら、だいご味とか、推理とか、森羅万象とか、流れの音とか、コーヒーとか、そんなのはどうでもいいから……。
偶然でも、無理矢理でも……。
なんなら空から魚が降ってきてもいいから……。
一尾でいいから、わがテンカラロッドを大きく曲げてくれないかなぁ。