10年ほど前のこと。僕は長野県の古民家を借りて、ひと冬を過ごしたことがある。それは、鍋倉山近くの雪深い山麓だった。
そして、その古民家には囲炉裏があったのだ。
囲炉裏のある部屋は、まるで映画館だ。
ごろんと横になって囲炉裏のなかで熾っていく火を眺めていると、時間がたつのを忘れてしまう。そしてそればかりか、火はいろんな物語をみせてくれるのだ。そこに映像が揺れ動いているかのように。
聴こえてくるのは、「かちん、かちん」という炭が燃える小さな音だ。
冷蔵庫やファンヒーターが低くブーンと唸っているような部屋なら、聞き落としてしまうだろう静かな音だ。
が、そこで上映される物語は、いいことばかりではない。
火は想像力を投影する力がある。だから、なんとなくひとりしみじみとしてくると、だめなことばかりに心が向いてしまうのだ。そうなると、危険。つぎつぎと浮かんでくる自分の欠点の多さに驚き、うちひしがれてしまうのだ。
ときには、囲炉裏劇場を前に、精神状態が危うくなる夜もあるのだった。
そんな気分を打破するには、焼き物である。
まずは、めざしを焼いてみる。丸い網の上にめざしを並べる。
と、さっきまでの暗い物語にはあっさりとエンドタイトルが流れ、新しい映画がはじまるのだ。
『起きてもいないことを、くよくよ考えるな。起きたいやなことは、忘れろ』と、めざしは僕に話しかけてくる。人生の明るい側だけを見ろ、と。
なるほど!
勢いづいた僕は、今度はお湯を沸かす。お湯割り用である。
すると、しゅんしゅんと沸騰するヤカンは、『自分の非を認めるなかれ。自分が正しいときにはけっして。自分が間違っているときには、なおさら』などといいだすではないか。
よしならば、今度は厚揚げを焼こう。わが庵での囲炉裏焼き物ランキングでは、つねに上位に位置する厚揚げである。野菜貯蔵庫には、薬味用の青ネギもあるし、ショウガもある。
そんな幸せなひと冬を過ごしたのだった。
「あこがれの生活」を思い浮かべると、その最上位にくるのが、僕の場合は「火のある暮らし」となる。
この春、テンマクの「iron-stove(アイアンストーブ)ちび」を手に入れた。
ふだんは、ベランダに設置している。
そして、出かけるときは車へ積み込む。
こうして、僕は「あこがれの生活」を手に入れたのだ。