またまた12月がやってきた。
できることなら、この冬は(この冬も!)炬燵にもぐりこんで「コタツムリ」と化してミカンでも食べていたいところである。
が、炬燵に入り背中を丸めミカンを食べながらも、ぼくの目はパソコンに映しだした2万5千分の1の地形図を追っている。
「このピークを越えて、しばらく尾根ぞいに滑る。そしてこの肩からブナ林の斜面を一気に下りると、山の向こうの温泉町まで行けるぞ!」
などと、新しいルートを探っているのだ。
そう。12月は、浮き足だつ季節でもあるのだ。
浮き足だった暮らしをはじめて何年になるだろう……。
冬を目の前にすると、ときどきそんなふうに思うのだ。
「生まれてからずっとじゃないのか。浮き足だって暮らしているのは?」と、きみはいうかもしれない。
それはそのとおりで反論のしようもないんだけど、ここでいうところの「浮き足だった暮らし」というのは、テレマークスキーのことなのだ。
踵が固定されていないスキーで出かける雪の山旅のことだ。
踵が固定されていないスキーで滑るとどうなるか?
そう。左右はもちろん、前後へもひっくり返る自由を得るのである。
踵が固定されると動きは制約される。が、安定感は増す。
踵が浮くと、安定感はまったくない。しかし、「どこへでも行けるぞ」という自由感が足もとから沸いてくる。
安定した転ばない日々を過ごしたいのか?
すぐに転ぶけど、自由な人生を歩きたいのか?
テレマークスキーは、転がりつづけることの意味を教えてくれたのだった。
ぼくの雪山体験は、テレマークスキーからすべてがはじまったのだ。
スキー板のソール(滑走面)にシール(滑り止めの絨毯のようなもの)を貼り、斜面を登っていく。
踵が浮くことで歩くことになんの支障もないスキーにシールを貼ることで、ゲレンデやリフトからわれわれを解放してくれるのだ。そのシンプルなスタイルは、この道具さえあれば雪があるかぎりどこへでも行ける、ということを教えてくれた。
このスタイルで山を歩いたとき、ぼくは頭の奥の方で、カチッと歯車のかみ合う音がした。
けっして秘境を行くわけではないが、テレマークスキーでの山旅には、道に迷う自由がある。
これだったんだな。魂の午前三時に啓示を受けたのは。
この遊びを知ってからというもの、冬になるといろんなところへ出かけていった。
さいわい、日本には豪雪の地が盛りだくさんだ。
海外へも出かけたが、日本にもまだまだ行きたいところがたくさんある。
それにスキー場へ行っても、ゲレンデからはずれて森の中を歩きまわった。
その行為が「規則に反しているかどうか?」は、さておき。
(でも、大きな声では言えないけれど、それは各々が考えればいいことだ。規則で縛られることではない。法律で決めることでもない。もっとも、心構えよりも手続きの方が重要なこの国では、そんな言葉は通じないけど)
もちろんのことながら雪山を行くのだから、少々の危険があり、かなりのしんどさがある。でも、それらは自然に対してのタスク(自発的に請けおう職務、あるいは責務、とでもいえばいいだろうか)のようなものだ。
おかげで、冷たい風とあふれる光のなかで生きていける。
ま、こうしたスタイルの旅は、流行からは遠く外れているし、だれもが過ごしている時間からも外れているだろう。場所からも外れているかもしれない。
でも、いまの世の中からすべてのことを少し外れてみるのは、気持ちがいいものだ。
こうした考え方こそが外れているのかもしれないけれど、それは、そんなに悪い方向へはずれているとは思わない。
テレマークスキーは、ヒールがフリーだから自由なのではない。どこへでも行けるスキーだから自由なのでもない。
人生のどこへつながるかわからない踏みならされていない道を歩くことが、すばらしく自由なのだ。
雪山を歩いた日数分だけ、ぼくは幸せになっていく。