焚き火も同じだけど、ろうそくやオイルランプの小さな炎は、ほんと心が落ちつく。
明るくないところがいい。まぶしくないところがいいのだ。
それになにより、そよ風に動揺するがごとく、弱々しく揺れるのがいい。
まるで、これからのわが人生の先行きをいっしょに心配してくれているようだ。小さな裸火は優しいやつなんだよ。きっと。
というわけで、キャンプの夜は小さな“灯り”がうれしい。
静かな夜に、ガソリンやガスカートリッジ式のランタンは似合わない。明るすぎるのだ。
もっとも明るさを売りにしているランタンなのだから、ランタンにはなんの責任もないのだけど、機能的なランタンは「夜」を楽しむための道具ではない。
キャンプの夜なんだから、ぼくは「夜の色」を楽しみたい。
暗闇を噛みしめたいのだ。
それに、暗い夜には「明る過ぎると見えないものがある」ということを、知ることができる。
と、キザに「荒野の夜は、暗い方がいいんだ」などといっていると、ときにはちょっとばかりしんどい目にも遭う。
月明かりもない暗い夜には、さっきまで心地よかった風に揺らぐ葉っぱの音がどんどん大きくなってきて、恐怖に駆られることがある。
となるとそれにともない、森を歩く動物の足音も大きくなってくるのだ。
ついさっきまでは、「リスだろうか、テンの足音だろうか?」などと楽しんでいた音が、「クマか? いや雪男か!」などと妄想がでかくなってくるのだ。
そうなると、小さな灯りが美しい、などと喜んではいられない。
眠れぬ長い夜を過ごすことになるのだ。
でも、そんな夜もときにはいいじゃないか。
その心の変動もまた、「明る過ぎると見えないもののひとつ」なのだから。
そんな夜を過ごせば、またひとまわり自分がおとなになったような気にもなれる。
風に揺らぐ心もとない小さな“灯り”は、いろんな物語を教えてくれるのだ。