アメリカの詩人アレン・ギンズバーグが、「ソローヘ帰ろう」といったのは、1960年代のなかば、ベトナム戦争まっただなかだったと思う。ギンズバーグがいうところのソローとは、19世紀後半に『森の生活』を書いたヘンリー・デビッド・ソローのことだ。
「人間はなくてすむものが多いほど、それに比例して豊かなのだ」というソローの言葉は、いまも世界中のパックパッカーのポケットに入ったまま、地球を旅している。
ところで、「『歩く』という素敵な遊びがある」ということに気がついたのはいつだっただろう、と思いおこしてみると、ぼくの場合は、この本『遊歩大全』にたどりつく。ギンズバーグやソロー、それにジャック・ケルアックが示唆してくれてはいたけれど、それを具体的に教えてくれたのは、コリン・フレッチャーだったのだ。
コリン・フレッチャーは、1922年ウェールズ生まれ。イギリスで少年時代を送り、第二次大戦では英国海兵隊として従軍。戦後は、アフリカ、アメリカ、カナダ、イギリスなどを渡り歩くが、1956年以降はカリフォルニアに落ちつき、遊歩と執筆をおこなう。
2007年6月、逝去。
1978年に『遊歩大全』は、日本で発売された(アメリカでの初版発行は68年。翻訳本は74年版の完訳)。
ぼくがこの本に出会ったのは、1970年の終わり(1980年だったかもしれない)。財布の底をひっぺがしてもお金が足らなかったから、数日間、本屋さんで立ち読みをつづけ、一日一食の生活を送り、ようやく買ったのだった。
それからというもの、「家を背負って」という言葉に、ワクワクしながら読み進めたのだ(とにかく分厚い本なのだ)。
危険動物として、ラトルスネーク(ガラガラヘビ)やサソリなどが出てくると、紅顔で無知な青年の旅の夢想はどこまでも広がっていく。
「ノンフォトグラファーの喜び」なんてのは、いまの時代にこそぴったりの項かもしれない。
延々とカメラの話や撮影方法、撮影アイデアなどのページがつづいた最後に、偶然にも旅の途中でカメラが壊れたフレッチャーは、「わたしは突然悟った。写真というやつは、どう弁護しても、黙想の世界とは相いれないものである」と、記すのだ。
また、巻頭には、20世紀初頭の放浪詩人、W.H.デービスの言葉が引用されている。
「さて、歩くべきか乗るべきか
乗れ! 快楽が言った
歩け! 歓喜が答えた」
もうこれだけで、じゅうぶんだ。
この本は、『歩く』という人生を踏みはずすほどに素敵な遊びがある、ということを教えてくれるのだ。
道具に関しては、さすがに古い部分がいっぱいある。でも、そんなことが気になるほどやわな本じゃない。久しぶりに読みなおしてみて、「すぐにでも出かけなければ」と、地図を眺めている毎日である。