“ほとんどのウォーカーはウォーキング・スタッフ(杖)の使用など考えてもいないようだが、わたしは背負うべき「家」の土台に杖を加えるのを、いささかもためらわない。バックパックを背負うときは、自動的にウォーキング・スタッフを手にするのだ。”
前回のこのブログで紹介した『遊歩大全』に、コリン・フレッチャーはこんなふうに書いている。
こうした文章を20代後半に読んだぼくは、それからは、どこへ行くにもウォーキング・スタッフがいっしょだった。『遊歩大全』に書いてあったように、竹で自作してはぼろぼろになり、という繰りかえしだった。
あるいは、トレイルヘッドで適当な木を探し、それを一日中持ち歩いたこともある。
山歩きでウォーキング・スタッフがないと、ぼくにとっては「温泉だと思って裸で入ったら、温水プールだった」というぐらいの居心地の悪さがある。
もっとも、世間ではいまやシングルの杖より、ダブル・ポール(トレッキング・ポール)が主流だ。コリン・フレッチャーもびっくりするだろうほど多くの人が、ダブル・ポールを持ち歩いている。
ダブル・ポールは、山歩きの必需品的存在となった感がある。
使い方に関しては、多くを語る必要はないだろう。
ダブルにしろシングルにしろ、楽しげに、リズムよく歩けばそれでいい。
登りは短めに、下りはちょっと長く。でも、セオリーなんかは、無視すればいい。
ただ、新しいアイテムを持つとついつい頼りたくなるので、はじめは両腕が疲れるかも。
そんなときは、「短すぎかな?」と思うほどポールを短く持ってみればいい。案外、それがちょうどよかったりするから。
もし、「ダブル・ポールとシングル・ポール、どっちが便利か?」と聞かれたなら、すかさずダブルとぼくは答えるだろう。
ダブル・ポールはすべてが理にかなっている。ほ乳類が歩く本来の姿である四つ足で移動できるだから。
昨夏の長かった北アルプス縦走旅は、ダブル・ポールを使った。機能を最優先させた旅だったからだ。
でも、ぼくはいまでも、ほとんどの山歩きはシングル・ポール、いわゆるウォーキング・スタッフで出かけている。
それは、ダブル・ポールが機能的すぎることに、反抗しているからかもしれない。
ダブル・ポールは、いってみれば、学級委員とか生徒会長みたいな感じかな。いいやつなんだけど、おもしろみがない。
ぼくはといえばいまだ、学校や仕事をさぼることに、注意する側より、注意される側にいたいと思っているのだ。
そうしたスタンスもスタイルも、圧倒的にシングルのウォーキング・スタッフが似合うのだ。
そういえば、茨木のり子さんが、「倚(よ)りかからず」という美しい詩を書いている。
でも、ぼくは一本のウォーキング・スタッフに寄りかかって、世の中を斜めから眺めていたいのである。