春は、仕事をしている暇がない!

春は、仕事をしている暇がない!

この季節は、遊びの予定がぎっしりだ。 さまざまなフィールドが「遊びに来ないか?」と、ぼくを誘う。 日本列島が南北に長くてよかった。 地球がでこぼこで、ほんとうによかった。

日本という国は山河が豊富な上に、南北に長い列島でほんとうによかった。 と、春になるといつもぼくは思うのだ。 この季節は忙しい。仕事なんてやっている場合じゃない。 春の風に包まれた川へ出向けば、新緑のなか、カヌーによる川下 […]

日本という国は山河が豊富な上に、南北に長い列島でほんとうによかった。
と、春になるといつもぼくは思うのだ。
この季節は忙しい。仕事なんてやっている場合じゃない。
春の風に包まれた川へ出向けば、新緑のなか、カヌーによる川下り旅ができる。ウラヤマへ向かえば、満開の春の花に囲まれてのトレッキングだ。
そして、信州や東北の山へ足を伸ばせば、まだまだテレマークスキー旅ができるのだ。

テレマークスキーで山旅へ出かけるなら、春が最高。ぼくは、そう思う。残雪の山々を眺めながらなら、どこまでも歩いていける気になってくる。

テレマークスキーで山旅へ出かけるなら、春が最高。ぼくは、そう思う。残雪の山々を眺めながらなら、どこまでも歩いていける気になってくる。

つい先日は、新潟県の火打山(ひうちやま)へいってきた。火打山は、頸城(くびき)山塊の最高峰。標高は、2,462メートルだ。
ここまでやってくると春とは名ばかりで、山塊のほとんどが雪におおわれている。
テレマークスキーにシール(滑り止め)をつけて登ること4時間。まだまだ3メートルもの積雪におおわれた山小屋(高谷池ヒュッテ)に到着だ。目の前には、火打山がそびえている。
この高谷池ヒュッテをベースに、時間が許すかぎり火打山を遊びつくすのだ。

テレマークスキー旅の魅力のほとんどすべてがこの山塊にある。火打山は、そう思わせてくれる山だ。毎年、春になると、行きたくなる場所のひとつだ。

テレマークスキー旅の魅力のほとんどすべてがこの山塊にある。火打山は、そう思わせてくれる山だ。毎年、春になると、行きたくなる場所のひとつだ。

ここで、テレマークスキーの野暮な説明を少しばかり。
テレマークスキーは、かかとが固定されていないスキーだ。これは、滑るためだけのスキーではない。登ったり、歩いたり、滑ったり。雪の上を移動するための道具なのである。
かかとが固定されていないとどうなるか。
そう、浮き足立つのである。不安定なのだ。
かかとを解放し安定を捨てることで、ぼくたちはどこへでも行ける自由を得るわけだ。不自由だけれど、どっしりと安定した生活を選ぶか。不安定だけれど、ふらふらとどこへでも行ける自由を取るか。
そう。テレマークスキーは旅の道具なのだ。自由の匂いがする遊びなのだ。

春の風に吹かれてのセーリング・カヤック旅も見逃せない。漕ぐだけでなく、風を利用することで移動距離は数倍にもなり、旅のスケールが大きくなる。

春の風に吹かれてのセーリング・カヤック旅も見逃せない。漕ぐだけでなく、風を利用することで移動距離は数倍にもなり、旅のスケールが大きくなる。

そんな旅から帰ったらすぐ、今度はカヌー旅へ出かける予定だ。
東海地方を流れる川へ、オープンデッキのカヌーとキャンプ道具を車に積んで出かけるつもりだ。
そして、そのあとは東北の山へ、ふたたびテレマーク旅。八甲田山の南の山塊をめぐってみようと思っている。
そして、そのまま青森の海岸線を自転車で歩いてみようか、と。
さらには……。
とにかく、ぼくの予定表は遊びのマークでぎっしり埋まっている。
春は、心におみやげをたくさんもらって帰る日々がつづく。

川遊びの王道は、やっぱりカヌーでの川下りだ。カヌーにキャンプ道具を積みこんで、大河を長く旅したい。

川遊びの王道は、やっぱりカヌーでの川下りだ。カヌーにキャンプ道具を積みこんで、大河を長く旅したい。

地球のでこぼこを、これからもいろんなスタイルで歩いていきたい。
ちょっとばかり道を踏みはずし、だれもいない山や川へと入っていく。そのことを思うだけで、幸せな気分になるのだ。
夏はまだまだなのに、顔はすでにまっ黒に日焼けしてしまった。
国や会社に貯金してある「自由」を、この春にこそ使ってしまおう!

暑くもなく寒くもないこの季節、夜はタープの下で眠りたい。いい夢が見られる旅の夜となるはずだ。

暑くもなく寒くもないこの季節、夜はタープの下で眠りたい。いい夢が見られる旅の夜となるはずだ。