アウトドアズマンの必需品といったら、昔は大きなナイフだった。
ナイフこそが、冒険旅の象徴だったのだ。
でも、それは昔の話だ。
いまの時代、ナイフは男らしさの象徴ではない。でっかいボウイナイフを腰につけて歩くなんて、じゃまなだけだ。
なりばかりがでかいボウイナイフを使う場面など、ほとんどないのだ。
ナイフを持っていたところで、スーパーで買ってきた食材のビニール袋を切るぐらいしか、いまの時代では使い途がない。ナイフが、アウトドアライフの象徴だった時代はとっくに過ぎ去ったのだ。残念なことだけど。
しかし、とぼくは思うのだ。
野外へ出かけるなら、ナイフのひとつは持ち歩きたい。ぜったいに!
大きくなくていいから。
きみが明日行くところは整備された登山道かもしれない。が、でもそこは、(ちょっとばかり大げさにいえば)法律のおよばないところなんだ。そんなことを確認するためにも、バックパックに小さなナイフをひとつだけ入れておこう。
ぼくのバックパックにいつも入っているナイフは、和歌山の古座川に住む素敵な酔っぱらい親爺・小山正博さんの手作り。刃渡り55ミリのシースナイフだ。
そして、ホットサンドを作るときは、大きめの刃渡り130ミリ。これは古い友人の形見として受けとったもの。友の手作りだ。
そうそう。いくつかの手持ちのナイフを眺めながらこの原稿を書いていたら、五寸釘ナイフのことを思い出した。
子どもの頃、遊び道具はなんでも自分たちで作ったという記憶がある(もっとも、思い出は歳月とともに美しく塗りかえられていくものではあるが……)。
秋の焚き火の季節になると、ぼくたち悪ガキは取り壊された家屋の廃材から五寸釘を抜いてきて、それを火の中に放り込むのだった。
ナイフを作ったのだ。
焼いた釘をやっとこでつかみ、金槌で叩く。
焼いては叩き、焼いては叩く。焚き火の火力は安定していないので、なかなか五寸釘は赤くならない。それでも、時間をかけてナイフを作ったのだ。
ある程度形ができたら、コンクリートにこすりつけ、研ぐ。コンクリートが砥石のがわりだったのだ。
そして、最後にもう一度焼き、水の張ったバケツに突っこんで、焼き入れをした。
じつは、おとなになってもからも五寸釘ナイフを作ったことがある。
旅と冒険にあふれていた子どものころの夢はちぎれちぎれになってしまったけど、いたずら心は消えることなく、ふつふつとお腹の底の方から沸き上がってくるものだ。
いい歳をしたおっさんが数人集まって焚き火をしながら、まっ赤になった五寸釘を叩き、丸一日をかけて作ったのだ。
ハンマーを振りおろす腕がはちきれそうになったけど、ちぎれた夢をつなぎ直すかのように五寸釘ナイフができあがった。

いつぞやの「粋狂焚き火キャンプ」で作った五寸釘ナイフ。柄をねじったり、焼き入れのときに浸炭処理を施したり(ナイフの表面に炭素を付着させ、硬さを出す。このときは、炭の粉と味噌を使った)。おとなになった分、子どもの頃よりも凝った遊びをするのである。
明日から、残雪を求めてテレマークスキーとともに東北の山々を歩く。
もちろん、小さなナイフをバックパックに入れていく。