「手仕事日本」と呼びたくなる柿渋染め体験

「手仕事日本」と呼びたくなる柿渋染め体験

倉敷市児島の染め工場で、「染めて、絞って、干して」を6回繰り返すことで、このジャケットが生まれてきた。 染め工程は、すべてが手作業だ。

柿渋染めコート「“柿渋” Ramblin’ Jack Jacket(ランブリンジャック・ジャケット)」を、着て歩く毎日だ。 着て歩くだけではない。わが家に届いた当初は、部屋でもずっと着てたし、寝るときも着よう […]

柿渋染めコート「“柿渋” Ramblin’ Jack Jacket(ランブリンジャック・ジャケット)」を、着て歩く毎日だ。
着て歩くだけではない。わが家に届いた当初は、部屋でもずっと着てたし、寝るときも着ようかと思ったほどだ。
ようするに、嬉しくてしようがない、ということだ。

ここで、ジャケットの自慢を!
これは、「Made in Japan」である。
日本の工場で縫製した。
そして、そのできあがったジャケットを、小さな町工場の職人たちがひとつひとつ手で染めていったのだ。

JR児島駅から「倉敷デニムストリート」へと歩く。ちょっとばかり落ち着いた観光地(すいません。正直に書いてしまい)、という印象だった。

秋のある日、柿渋染めの現場を見たくて、岡山県倉敷市のはずれにある工場を僕は訪ねることにした。
出向いたのは、倉敷市児島。
古くから足袋・学生服・作業服などを生産し、繊維のまちとして発展した町だ。
また、アメリカで生まれたジーンズを初めて国産化したのが、児島だった。
いまでは、国産ジーンズ発祥の地として脚光を浴び、「倉敷デニムストリート」なるものまである。
その児島の「浦上染料店」へと、おじゃました。

「浦上染料店」の工場内で、柿渋染め体験をさせてもらう。

工場内は、ところ狭しといろんな染め物をやっている。
とある一角に、浅めの小さめの風呂桶サイズの容器に、柿渋液がたまっている。
この桶に、ジャケット一着、一着を浸し、絞り、を繰り返し、染め上げられていく。
そのすべてが、まったくの手作業だ。
絞ったものは、工場内の中二階で干される。
柿渋染めは、紫外線に当たると色が濃くなっていくので、日陰で干さないと色ムラができてしまう。

柿渋液が溜まった桶に。ジャケットを浸し、沈め、揺する。そして、しっかり絞る。

僕も染め工程の一部をやらせてもらった。
桶にジャケットを浸し、沈めて、揺する。
20秒ほどおいて、持ち上げ絞る。
生地がごついから、この絞る作業が大変だ。
結局のところ、僕は6、7着ぐらいの染めをやったかな。

こんなふうに、僕が染めたジャケットも干されたのだ。

工場の職人さんたちは、これらの作業を、日々、黙々とこなしていく。
こうして、日本の伝統が守られていくのだ。
染めて干しての作業を、6回おこなうことで生まれてきたのがこのジャケットだ。
気が遠くなるよな。
染めて、絞って、乾かして(乾くのに1日以上かかる)、を6回だ(僕が体験したのは、そのうちの1回で、しかも数着)。
さて、僕が染めたジャケットはちゃんと製品になったのだろうか。
気にはなるけど、いまとなっては確認のしようがない。

「俺が買ったジャケット、染めにムラがあるぞ」と思った人は、あしからず。
それは、僕が染めた数着の内のひとつかもしれない……。

僕自身の一着は、色抜きをしてもらった。天然素材で染めたからできる技だ。

柿渋で塗装したストラトキャスターもできあがった。「ブラウンシュガー」と命名。