僕もまた日本人の大多数のひとりで、2011年3月11日以来、電気のことを考えるようになった。
もともと、そんなに電気を使っていたわけじゃないんだけど、あの日からは、使用量よりも「いま使っているこの電気はどこからやってくるのか?」と考え出したのだ。
それから数年後、オフグリッド(電力会社と縁を切る)生活を送る何人かの人に会った。彼ら彼女たちの体験を、いろいろ聞いたのだ。
そして、僕も「東電からつながるこの電線を、斧でぶった切ってやる」と思った。
あるとき、一枚のソーラーパネルを期限つきで借りることができた。同時に、バッテリーやインバーターなども借りたのだ。
で、さっそく仕事部屋のベランダ(南向き)にパネルを取りつける。
この仕事部屋の電気をすべてソーラーパネル一枚でまかなおう、と思ったのである。
部屋で電気を使っているのは、パソコン、照明機器、音楽を聴くための機器、それにときおりギターアンプを使うぐらいだ。夏は、扇風機も。これぐらいなら、まかなえるだろう。
それからというもの、ソーラーパネルは、北国の炭鉱夫のように律儀に働き、天気のいい日には電気をどんどん蓄えてくれた。
天気のことが気になってしょうがない毎日が続く(それもまた、楽しかった)。
それに、雨が続いたら「ソーラー発電につき、パソコンが動きません」と、締め切りを過ぎても「クールな」言い訳ができるな、などと思っていた。
結果的には、僕の仕事部屋ぐらいの電力は、問題なくまかなえたのである。
そんなことより、太陽光発電をやりだして感じたのは、僕自身が必要とするエネルギーのことだ。
いろんなエネルギー(電気以外も)のことを、考えるようになった。
このエネルギーは、僕にとってほんとうに必要なのか?
これを使うことで、僕はどんな恩恵を受けているのか?
そして、このエネルギーを使うことで、世の中に僕はどんな影響を与えているのか?
太陽光による小さな小さな自家発電であれ、エネルギーを作るということは、なにかしらになにかしらの悪影響を、世に与えることとなる。
人が生きていくためには、いろんなものやことを犠牲にしているのだ。当たり前のことながら。
太陽光発電は、そんなこんなを真摯に考えさせてくれた。
諸事情から(これを話し出すと長くなるので、また今度)、ソーラーパネル貸し出し終了の期日で、太陽光自家発電は一時中断。
それから、しばしのときが過ぎた。
つい先日、友人から「おもしろい本があるよ」と教えられた。
『わがや電力~12歳からとりかかる太陽光発電の入門書』(ヨホホ研究所発行、テンダー著)である。
まず、僕をつかんだのは、この本が「自費出版」だということ。
以前、自費出版の本を作ったことがある。そして、これらからも作りたいと思っている僕にとっては、それだけでもじゅうぶんだ。
さらには、太陽光発電のことが、やさしく書かれている。
電気のことに「うとい」僕にも、わかるように書いてある。
久しぶりに、太陽光発電のことに思いを馳せ、斧を研いでいる冬晴れの一日である。