「急ぐなんて言葉は、忘れた」と問いかけてくるストーブがある。
アルコールストーブだ(アルコールバーナーと呼ぶことも)。
このストーブに火をつけると、「ゆっくりを愉しめ」と諭してくるのだ。
アルコールストーブは、ガソリンやガスストーブとは比べるまでもなく火力が弱いのは明らかだ。しかも、音が静かだから(燃焼音はない、といってもいい)、力強さをまったく感じさせない。
このストーブの最大の魅力は、そこなのだ。静かにゆっくりとお湯を沸かしてくれるところである。
のんきで気ままな感じがして、僕はそんな時間が大好きなのだ。
ふたりでのキャンプの夜。眠る前に温かい飲み物を、と思ったときにほしいのはゆったりと静かに流れる時間だ。
朝も、同様だ。朝日が昇るその光の角度でみるみる変わっていく景色を楽しみながらコーヒーを淹れるときには、力強さより静けさがほしい。
そんなときにぴったりなのが、アルコールストーブである。
火力が弱い、といっても実用性はじゅうぶんにある。
トランギア/アルコールバーナーTR-B25で、実際に実験をしてみたら、500ミリリットルの水が沸騰するまで、静かに待って約5分だった。
それに、このバーナーはどんどん火力が強くなっていく。連続で試してみたら、つぎは3分で沸いた。
じゅうぶんではないか。
また、アルコールストーブのとろとろ火力は、チーズフォンデュや煮込み、ご飯を炊くのに適している。
さらには、ホットサンドとの相性もいい。じっくり焼けるのだ。
と、じつは使い途が多いストーブである。
壊れるということはまずないシンプルな構造である。メインテナンスも必要ない。
そして、燃料のアルコールは薬局などどこででも手に入る。
注意点は、ひとつだけ。
静かだし青白い炎なので、明るい日中には火がついているかどうかが、目視ではわからない。そう、うっかりやけどをしてしまうのだ。
でっかい景色の前、アルコールストーブでお湯を沸かし、ふたり分のコーヒーをハンドドリップで淹れる。さらに、ホットサンドをゆるゆる焼いていると、時間がかかればかかるほど愉しいこともあるんだ、と教えてくれる。
ウクレレを弾きながら「It’s Only A Paper Moon……」となどうたっていたら、いつの間にやらホットサンドが焼けている。
そんな朝には、時空までがひずみだして朝焼けの空が笑いだすのさ。