雲が、呼ぶんだよ

雲が、呼ぶんだよ

遠くの山を眺めていたら、雲の動きが気になってきた。 またまた、外遊びの季節がやってきたのだ。 「空を眺める生活をしろ!」と、でっかい雲が僕を呼んでいるのだ。

都会で暮らしているときの僕は、その日の風向きを気にすることはない。天気予報は、新聞やインターネットから知り、なんとなくの情報が頭に入ってはいるが、よほど強い風が吹かない限り、風向きまでを気にすることはない。それほど天気を […]

都会で暮らしているときの僕は、その日の風向きを気にすることはない。天気予報は、新聞やインターネットから知り、なんとなくの情報が頭に入ってはいるが、よほど強い風が吹かない限り、風向きまでを気にすることはない。それほど天気を気にしていない、ということだ。
朝から大量の洗濯をした主婦や主夫のほうが、圧倒的に天気予報に関してはくわしいはずだ。

ところが、外遊びへ出かけるときには、天気はいちばん気になることのひとつとなる。
長い旅や、ちょっとばかりしんどい旅となると、一週間ほど前から天気の動向をうかがう日々だ。この先、気圧配置がどんな感じでかわっていくか、を知っておきたいがために。

暗雲は東へ去り、西から青空が広がってきた。さあ、出発だ!

暗雲は東へ去り、西から青空が広がってきた。さあ、出発だ!

旅の上での天気予報を知るためには、スマートフォンが現実的だ。
最近は、圏外地域も少なくなった。
山であれば、尾根やピークなどどこかしらつながりやすいところがある(とはいっても、昨夏の北アルプスではつながらないところが多かったけど……)。
スマートフォンが、天気を知るための最強ツールであることは間違いない。
空を見上げ雲の流れを見ながら天気を予測する、ということがなくなったのだ。
iPhoneを手に、「明日もだいじょうぶだ」と確信する旅の途上なのである。

山を下りたら暗雲が迫ってきた。さっさと帰ってビールだな。

山を下りたら暗雲が迫ってきた。さっさと帰ってビールだな。

なんの問題もない一日。こんな日のバックカントリースキー旅は、みんなが笑顔だ。

なんの問題もない一日。こんな日のバックカントリースキー旅は、みんなが笑顔だ。

というわけで、いまや死語となってしまった感のある「観天望気」である。
有名なところでは、「夕焼けが出たら、明日は晴れる」とか「ネコが顔を洗うと雨」あたりか。
ようするに、いま目に見える森羅万象から天気を予測する、ということである。
古くからの「言い伝え」といってしまえばそれまでだけど、僕は、昔日の人々の「知恵」だと思っている。
とくに、雲と風向きで知る観天望気は、気象学的に考えても信用性が高いし、覚えたいことでもある。
どこへも出かけられない日に、「雲」辞典などを眺めながら過ごす日もあるけど、山や海で実際に体感しないとなかなか覚えられない。

夕焼けは、なぜか故郷を連想する。安心するからかな。

夕焼けは、なぜか故郷を連想する。安心するからかな。

朝焼けは、いつも不吉な予感が漂っている。胸騒ぎの朝なのだ。

朝焼けは、いつも不吉な予感が漂っている。胸騒ぎの朝なのだ。

南の島の船乗りたちは、いまの時代でも空を見上げ雲の様子を見ながら天気の話をしている。
山小屋の主人も、「あの山に雲がかかると、3時間後ぐらいに天気がくずれてくるぞ」てなことをいう。
シーカヤック旅では船乗りたちに、そして山旅では山のベテランに、天気のことではずいぶんと世話になってきた。
そしてその地域地域の観天望気を知ることで、僕の旅は充実していったのだ。
いつか僕も、空を見上げながら天気の話をしたいと思っている。そうした会話ができることに、圧倒的あこがれを抱いているのだ。

スマートフォンで天気予報を知ることが悪い、といいたいわけではない。
「どっちが楽しいか」ということだ。
空を見上げて風を感じて天気を予測するのと、iPhoneを手にうつむき加減に天気予報を知るのと。

しかし僕はといえば、実際のところ……。
iPhoneを手にこっそり天気予報を調べてから、空を見上げ雲を眺め「ああ、高層雲が流れてきたから、温暖前線が近づいてるな。今夜から雨かな」などとキャンプサイトで知り合った女の子に話しかけているのだ。

「太陽に暈がかかると雨が近い」といわれている。低気圧の接近で暈が出現しやすくなるのだ。

「太陽に暈がかかると雨が近い」といわれている。低気圧の接近で暈が出現しやすくなるのだ。

シーカヤック旅では、いつも空を見上げ雲を見て一日を過ごす。さてさて。風も吹かない毎日に飽きてきたし、そろそろ出かける頃あいかな。

シーカヤック旅では、いつも空を見上げ雲を見て一日を過ごす。さてさて。風も吹かない毎日に飽きてきたし、そろそろ出かける頃あいかな。