「ダウンウェア」を初めて知ったのは、1970年代の初めだった。
そのとき僕は厚顔(「紅顔」と書きたいところだけど、ちょっと無理があるよな)の高校生で、神戸の三宮から元町の高架下を歩いているときに、なにやら救命胴衣のような服を着ているやつがいるな、と思ったのだ。
でもすぐに、「もしや、雑誌『ポパイ』に出てたあれがダウンベストというやつか?」と、思わずその男を追いかけてしまったのだった。
ちょうど同じころ、僕の大好きなアメリカのミュージシャンがバックステージでダウンパーカーを着ている写真を見て、「ロックの匂いがするなぁ」などと思っていたのだ。
なんせ、当時はダウンウェアなんてまったく目にしなかったのだから。あんな突飛な着ぶくれは想像もできなかった。
そして、欲しかったけどとても買えなかった。信じられないほど高価だったのだ。ダウンのウェアは。
70年代の半ばになって、安いダウンウェアが出没しだした(安物は、ほとんどまがい物の羽毛が詰まったやつだったけど)。で、僕もそんなダウンパーカーを着て、大阪の街をうれしそうに歩いていたのだった。
そしてときは過ぎて、1979年の秋。東京暮らしがはじまって少したった頃だ。
僕は、手に入れたばかりのThe North Faceのダウンベストを着て仕事の打ち合わせに出かけた。徹夜で仕上げた企画書を入れたからし色のやはりThe North Faceのバッグを斜めがけにして。
世界は、吹きすさぶ4つの風と7つの波高い海からできている。そのことを知るきっかけになった日でもあった。
というわけで、ダウンウェアとは長いつきあいだ。
いまでは秋から春まで、旅へ出るときには、必ずやコンパクトなダウンのウェアをバックパックへしのばせている。
北アルプスなどの高山では、夏でもダウンウェアが有用だ。
寝袋だって夏用から極寒用までダウンだし。ダウンのブランケットも愛用している。ダウンパンツもある。
と考えると、僕は年中「羽毛」のお世話になっているわけだ。
ありがとう。アヒルくん、ガチョウさん。