ぼくがまだまだ若かったころ、何度読んでも理解できない本があった。正確には、何度も読むのを途中で挫折した本、ということである(読みとおすことができなかった)。
そうした本は、一冊ではない。何冊もあった。
「これ、おもしろいぞ」とか、「この小説に旅の原点がある」とかいわれ、その言葉を信じ本を買ってはみたものの、読みはじめるとすぐに寝てしまう、という本だ(すいません。著者の方々)。
おもしろくなかった本は、いっぱいある(あくまでも「ぼくにとって」という意味で)。
でも、いまここに書こうとしているのは、「いい匂い」がしてるんだけど、最後まで読みとおせなかった本のことだ。
これを読めば「違いのわかる男」になれそうだ、と「違いのわからない男」は襟を正して読みはじめるのだが、途中、前後のつながりがわからなくなったり、意味がつかめなかったり、背景が見えてこなかったり。
ようするに、物語の中にうまく入りこめず、数ページも進まないうちに「うとうと」しはじめるのであった。
2年前(2013年)の夏の終わり、新宿の映画館で映画『オン・ザ・ロード』を観た。
これは、ジャック・ケルアックの1957年に出版された自伝的小説「オン・ザ・ロード(路上)」を原作とした映画だ。
「人生のすべては、路上にある。
ぼくは若き作家で、飛び立ちたかった」
という、ジャック・ケルアックのアメリカ放浪物語だ。
そう。この小説なんだ。若き日のぼくが何度もページの上によだれを垂らして寝てしまった本は。
ドラッグとセックスとジャズと放浪。そんな旅の日々が描かれた物語なんだけど、そこにあるばか騒ぎや破滅的な生き方は、ぼくが暮らしているこの国や当時の時代においては、あまりにも現実味がなかったのだ。
でも、ある年齢になってきて、この小説のことがぼくの中で「腑に落ち」だした。
ここにあるのは、素敵に人生を踏みはずした男たち(女たちも)の物語だったのだ。
ありふれたことは、いっさい言わない。いっさいしない。その瞬間を燃えて燃えて燃え尽きる。そんな生き方があることを教えてくれるのだ。
そういえば、「オン・ザ・ロード」に大きな影響を受けたというボブ・ディランも、「なんだかなぁ」というようなアルバムを作ったり、しまりのないライブをやったりしたこともあったけど、平凡なことは一度たりともなかった。
映画『オン・ザ・ロード』ではさすがに、その破滅的な生き方もかなりわかりやすく描かれている。そのわかりやすさに、「ちょっと違うんじゃないか?」と思うこともあるけど、それが映画という媒体のいいところなのかもしれない。
そうそう。じつは、ぼくにとっては睡眠薬となる本が、もう一冊ある。
ヘンリー・デビッド・ソローの「森の生活」だ。
だれか映画化してくれないかな。