川の上に出ると、「この先どこへ行くかはわからないけど、たったいまドアを開けたところ」という感覚に全身がつつまれる。
これだ。この感触だ。
流れの中心へと漕ぎだす。パドルを持つ手に、力がみなぎってくるのが感じられる。
いつものことながら、川の上に出ると、なにかがはじまるぞという気分になってくる。
川は、ぼくにとってのパワースポットかもしれない。
関東一の清流と呼ばれる那珂川。ゆったりと蛇行した流れに、天然遡上の鮎がわんさと泳ぎ、秋には鮭も遡ってくる。
川面から両岸を眺めると、これこそが日本の風景だ、と思わせてくれる。
はじめてこの川を下った30年前、ぼくは関東にもまだこれほどの自然が残された川があったのか、と驚いた。
自然が残された、というのはあくまでも日本の中で、という意味だ。上流にダムがあることも知っていたし、途中、堰堤や護岸で、大自然とい言葉を使うには、ずたずたの姿ではあった。
自然の川というよりは、流域にこれほど人が住んでいない川があったのか、という感慨だ。田舎の風景、という言葉ぴったりくる川だったのだ。
ぼくは、那珂川に正しい日本の田舎を見たような気がしたのだ。
そして、それは今日も変わりなかった。いや。もしかすると、過疎化がさらに進んでいるかもしれない。
悲しい話だが、2011年3月11日以降、東北や北関東の川は、いまだ大いなるとまどいのなかにある。
訪れる人は激減した。
鮎を釣る人も少なくなった。地元の人たちも那珂川の鮎を食べなくなった、という。
この先、那珂川はどんなふうになっていくのだろう……。
そんなことを思っていたら、「だいじょうぶだよ。那珂川はすごく元気そうだし。こうして眠ることなく毎日流れているんだから」と、わがいとしのバウレディのマーヤがいう。
そしてそういいおわると同時に、マーヤが、あまりののどかさにカヌーの上で寝てしまった。
「川は眠らないから、わたしは寝る」だとさ。
まわりを見わたすと、いっしょにやってきたメンバーも流れののどかさになにやら眠たげだ。カヌーの上で舟を漕いでいる。
早瀬に目を輝かせ、どきどきし。やがて流れがゆっくりしてくると、あくびをし。
そんな繰りかえしで一日が過ぎていく。
うんざりすることがあっても、川に出れば、うれしくなるようなことがその何倍も体験できる。川旅は、いつもそのことを教えてくれる。
やっぱり川はパワースポットなのかもしれない。
川にいる時間だけ幸せになっていく。
二日目の終わりにはだれもが無口になり、顔を見合わせてただ笑うだけなのだ。