物忘れの激しい昨今だが、久しぶりにふるさとの川をカヌーで下ってみると、まるで昨日のことのように、さまざまな思い出がよみがえってきた。
初めての川下りカヌーの日のこと。河原一面に菜の花が咲いていた春のこと。川漁師からもらった大きな毛ガニ(モクズガニ)をキャンプ地で茹でたこと。ほとんど泳いで下った猛暑の日。寒さに震えた真冬のキャンプ。
などなど、などなど。うれしかったことも、ちょっとばかり残念だったことも。
那珂川は過去、何度もカヌーで下った川なのだ。
なるほど。物忘れ防止は、ふるさとへの旅にかぎる!
と、もうひとつ大事なことを思い出した。
そうであった。那珂川はふるさとの川じゃなかった。ぼくは那珂川流域の出身ではなかったのだ。
でも、ここには日本人ならだれもが心に描くふるさとのような風景がある。
ゆったりと川が流れる景色に、心が懐かしがるのだ。
人は、自然界のすべてを直線にしてしまおうとするけど、川の流れには曲線があふれている。効率化の手から逃れた蛇行の弧は、ぼくたちがどこかに忘れてきたやさしさのようなのだ。
さわやかな秋風が気持ちいい。そして、水はどこまでも透明だ。
さらにうれしいことには、ぼくのカヌーにはマーヤ(Ma-Ya)が座っている。いとしのバウレディーである。
今日から二日間、マーヤとふたりっきりで那珂川を楽しむのだ。
と思ったら……。
あれっ。ワイルドワン・スタッフがいる。山田真人がふたりもいる。イノッチがいる。四万十川の木村とーるがいる。
ふたりだけの那珂川カヌー旅計画は夢だったのか。いつの間にみんなにばれていたんだ?
やれやれ。
川旅のベースとしたのは、御前山の「なかよしキャンプグラウンド」。20年以上もの古いつきあいのキャンプ場だ。
初日は、10キロほど上流の大瀬からカヌーを出し、このキャンプ場までを下ることにした。
のんびりゆったり川下りが楽しめるコースだ。
那珂川が水運さかんだった頃、キャンプ場のある御前山は、河岸としてとして栄えたところだ、という。
そう、昔、日本の川はハイウェイだったのだ。
川は、人間が移動するための道だったのだ。そこを行くのは、いうまでもなく徒歩ではなく舟だった。重たいものや大きな物資を運ぶには、川を利用することで楽ができた。材木などは筏を組み、その筏に乗って川を下った。
そんな川舟や筏を操るプロフェッショナルが、各河川にいたのだ。もちろんそれは、だれにでもできるという技術ではなかった。
山に囲まれた急峻な川が多い日本では、高度なテクニックと竜巻のような勇気が要求された。
当時の筏師や川舟を操る人たちは、いまの時代でいえば、大陸を縦横無尽に走る長距離トラックの運転手だったり、荒野を駆け抜けるブッシュパイロットの操縦士だったわけだ。
「三日以内に、このブツを西海岸まで運んでくれ。一時間たりとも遅れは許されない。礼ははずむよ」といった具合だ。
ヒーローだったのだ。だれもがあこがれた職業なのである。
そんな時代に生きていたなら、一介のしがないパドラー(ぼくのことである)もまぶしい視線を浴びたはずだ。そしてその勇姿に、マーヤもうっとりしたはずだ。
しかし、いまや筏師や川舟を操った人たち同様、カヌーイストもまた日本では絶滅危惧種なのである。
川を下っても、カヌーと出会うことはない。
こんなに心浮きたつ遊びなのに。
しかし、こうした時代にめげるわけがない。今日ここに集まったいいおとなたちは、大冒険へ出かける少年のように目を輝かせ、つぎからつぎへと襲いかかってくる困難に立ち向かうべく、川を前にしている。
心はじゅうぶんに海賊の気分である。
秋の青空の下、勢いよく岸を蹴りだし、那珂川の川面に浮かんだのだった。
(10月29日更新へ、つづく)