残念ながら、日本では焚き火ができる場所は少ない。
禁止されている、という意味ではない。
あくまでも、「ここで焚き火をしてもいいかどうか?」という自己判断での話である。
「焚き火にまさる火はない」ことは知ってはいるが、コンパクト・ストーブが必携の時代なのだ。
地面に迷惑をかけず、灰も落とさなければ跡形も残さない。
黒く焼けた石をきれいに磨いたり、埋めて隠したりする必要もない。
これががひとつあれば、フィールドのどこもが台所となる。
いいかえれば、小型ストーブは、旅を自由にしてくれる道具のひとつでもあるのだ。
小型ストーブには、ガソリン、灯油、アルコール、ガスカートリッジなど、用いる燃料の違いでいくつかのタイプがある。
それぞれに長所短所があるので、どれを選ぶかはまったくの好みとなる。
そんななか、ぼくはガソリン・ストーブに道具としての圧倒的魅力を感じている。
いまだ、プレヒートに時間を割いている人間である。
ガソリン・ストーブの構造は、単純明快だ。
その構造の単純さゆえ、プレヒートという作業が必要となる。
しかし、これは面倒なものではない。
いくつかの手順を踏み、燃料を気化させるために予熱するわけだ。
このプレヒートにこそ、ガソリン・ストーブを使うバックパッカーの誇りと見栄と極意がある。
お気に入りの道具に息吹を吹きこむ、一種の儀式である。
そして多くの人は(少なくともぼくは)、その時間をひそかに楽しんでいるのだ。
(最後に紹介するMUKAストーブは、このプレヒート作業が不要な革命的ストーブ)
ガソリン・ストーブに火がつくと、立ちあがる炎は自由にうごめいている。
まるで、話しかけてくるかのように「ばっばっばっばっばっばっ!」と大きな音をたてながら燃えるのだ。
ガスコンロのように、軍隊の行列を思わせる行儀のいい炎ではない。
そして、この音と炎の躍動は、いくつもの旅を想いださせてくれる。
静寂の森。雲が走る満月の夜。オオカミの遠吠え。吹雪のうなり声。氷点下の朝。
ガソリン・ストーブに火をつけることで、旅の夜に魔法の時間がはじまるのだ。
ひとり旅の夜には、何度となく元気づけられたものだ。
ただし、重い。
コンパクトなタイプでも、ガソリン・ストーブはガスカートリッジやアルコール・ストーブにはかなわない。
でも、ときにはこの重たさが「自分自身のために旅へ出る」ということかな、と思うこともある。
ライト&ファーストもよくわかる。
背負って歩くのだから、軽いにこしたことはない。
バックパックが重いと、歩くスピードは落ち、疲労は増し、行動範囲が狭まり、計画どおり進まず、そしてそのあとには、必ずや危険がひたひたと声を静めて押しよせてくる。
その『危険』という部分を回避するよう集中して、ぼくは、個人的には軽さより美しさをとろう、と思っている。
ま、もっともぼくの場合は、人間が軽いから道具は軽くなくてもいいか、という感もあるけど。
挑戦心にあふれるアルピニストが、道具のわずか5パーセントの小型軽量化を図りたがるように、軽い男であるぼくは、「旅の物語を道具とともに創るのもおもしろいな」と5割り増しの道具を背負って歩くのである。