マイ・フェイバリット・カンティーン(水筒)!

マイ・フェイバリット・カンティーン(水筒)!

山を歩くなら、水筒を持っていこう。それも、とびっきり素敵なやつを! お気に入りの水筒を持つと、いいことずくめの一日がはじまるのだ。

日本の山には、おいしい水がいっぱい湧き出ている。 これは、日本が世界に誇れることのひとつである。 そのまま飲める柔らかい水が、各地の山に流れているのだ。 こんなに幸せな国は、それほど多くはない。 それに、ぼくらはふだん気 […]

日本の山には、おいしい水がいっぱい湧き出ている。
これは、日本が世界に誇れることのひとつである。
そのまま飲める柔らかい水が、各地の山に流れているのだ。
こんなに幸せな国は、それほど多くはない。

それに、ぼくらはふだん気にもしないけど、水道の水をそのまま飲める国というのは、じつはめずらしいことだ。
それはもちろん、国や水道局などの努力もあるだろうけど、なんたって山河においしい水が豊富に流れているからでもある。
だから、ぼくたちは山に流れるおいしい水を誇りに思うと同時に、大事にしなくてはならないのだ。

ある時代から、日本にもペットボトルに入ったミネラルウォーターなるものが登場した。
と同時に、違いのわかる人間は、水道水ではなくペットボトルの水を飲む、という風潮が生まれてきた。
でも、ちょっと考えて欲しい。
水道水をそのまま飲める国と、ペットボトルの水しか飲めない国の違いを。
たしかに、ペットボトルの水を買うほうがGDP(あるいはGNP)はあがるかもしれない。
もっといえば、川の水をそのままおいしく飲める国のほうが、圧倒的に数字(GDPの)はあがらないだろう。
しかし、そんな数字にだまされてはいけない。
GDPの数値より、国民にとって、どっちが幸せか?

ま、むずかしい話は、有識者にまかせておこう。
ここでは、GDPを追求したいわけではないのだ。
ぼくがいいたいのは、「山のおいしい水をだまって見逃す手はない」ということだ。

「使い捨て商品に代わる信頼性と高い品質を備えた製品をつくることが、私たちの最大の使命です。何十年先も当社の製品を使い続けていただくこと、それが私たちの希望です。たったひとつのカップやボトルを節約することの積み重ねが、大きな成果につながるのです」というKlean Kanteen(クリーンカンティーン)。 こうした水筒で飲む水は、未来の味がする。

「使い捨て商品に代わる信頼性と高い品質を備えた製品をつくることが、私たちの最大の使命です。何十年先も当社の製品を使い続けていただくこと、それが私たちの希望です。たったひとつのカップやボトルを節約することの積み重ねが、大きな成果につながるのです」というKlean Kanteen(クリーンカンティーン)。
こうした水筒で飲む水は、未来の味がする。

おいしい水を飲むなら、それを入れる水筒にもこだわりたい。
ぼくは、大好きなコーヒーやワインを、使い捨てのプラスチックや紙のコップでなんて飲みたくない。
水も同じだ。
だから、山へ行くときには(町にいるときもその必要があれば)、水筒を持ち歩いている。
しかも、絶対的にお気に入りのやつを!

山の地図を眺めながら、「この水場の水の味はどんなだろうか?」と想像するだけで、口に甘い水の香りが広がってくる。
水の味わいは、トレッキングの楽しみのひとつでもある。
地図上に『名水』という言葉をみつけると、さらに想像力は高く舞い上がる。
そこでたっぷり水を汲んで、キャンプ地へ着いたらコーヒーを淹れよう、などと。
そんな楽しみをめいっぱい膨らませたいためにも、ペットボトルではなくお気に入りの水筒を持ち歩きたいのだ。

過去、数々の場所でおいしい水に出会った。 その場でがぶがぶ飲んだり、汲んでかえってコーヒーを淹れたり。あるいは、水割りを作ったり。 未来永劫、天然水がおいしく飲める国であって欲しい。

過去、数々の場所でおいしい水に出会った。
その場でがぶがぶ飲んだり、汲んでかえってコーヒーを淹れたり。あるいは、水割りを作ったり。
未来永劫、天然水がおいしく飲める国であって欲しい。

そういえばトレイルでは、ときどきペットボトルのゴミを見かける。
ペットボトルに水がまだ入っているところを見ると、故意に捨てたんじゃなくバックパックから滑り落ちたか、休憩したあとにうっかり忘れたのかもしれない。
お気に入りの水筒を持ち歩けば、そんな「うっかり」ゴミも少なくなる。

今年も、『贈りもの』の季節がやってきた。
「いっしょにおいしい水を飲みに行かないか?」と大好きな人を誘うために、素敵な水筒を物色している今冬である。
これはあの子に似合いそうだ、などとひとりつぶやきながら。

ぼくは、水をうまそうに飲む人が好きだ。
水がおいしいと思えるような生活を送っている人間こそが、ほんとうの美食家なんじゃないだろうか。
口から溢れださんばかりに「がぶがぶ」と水を飲む。
いつまでもそんな夏の日の少年のようでありたい、とぼくはこの歳になっても思っているのだ。

20年以上も使っているお気に入りの水筒がある。 いまはもう手に入らないマルキルやグランテトラなど。 これらはけっしてコレクションではない。 いまも、現役でがんばってくれている。

20年以上も使っているお気に入りの水筒がある。
いまはもう手に入らないマルキルやグランテトラなど。
これらはけっしてコレクションではない。
いまも、現役でがんばってくれている。