日本の山には、おいしい水がいっぱい湧き出ている。
これは、日本が世界に誇れることのひとつである。
そのまま飲める柔らかい水が、各地の山に流れているのだ。
こんなに幸せな国は、それほど多くはない。
それに、ぼくらはふだん気にもしないけど、水道の水をそのまま飲める国というのは、じつはめずらしいことだ。
それはもちろん、国や水道局などの努力もあるだろうけど、なんたって山河においしい水が豊富に流れているからでもある。
だから、ぼくたちは山に流れるおいしい水を誇りに思うと同時に、大事にしなくてはならないのだ。
ある時代から、日本にもペットボトルに入ったミネラルウォーターなるものが登場した。
と同時に、違いのわかる人間は、水道水ではなくペットボトルの水を飲む、という風潮が生まれてきた。
でも、ちょっと考えて欲しい。
水道水をそのまま飲める国と、ペットボトルの水しか飲めない国の違いを。
たしかに、ペットボトルの水を買うほうがGDP(あるいはGNP)はあがるかもしれない。
もっといえば、川の水をそのままおいしく飲める国のほうが、圧倒的に数字(GDPの)はあがらないだろう。
しかし、そんな数字にだまされてはいけない。
GDPの数値より、国民にとって、どっちが幸せか?
ま、むずかしい話は、有識者にまかせておこう。
ここでは、GDPを追求したいわけではないのだ。
ぼくがいいたいのは、「山のおいしい水をだまって見逃す手はない」ということだ。
おいしい水を飲むなら、それを入れる水筒にもこだわりたい。
ぼくは、大好きなコーヒーやワインを、使い捨てのプラスチックや紙のコップでなんて飲みたくない。
水も同じだ。
だから、山へ行くときには(町にいるときもその必要があれば)、水筒を持ち歩いている。
しかも、絶対的にお気に入りのやつを!
山の地図を眺めながら、「この水場の水の味はどんなだろうか?」と想像するだけで、口に甘い水の香りが広がってくる。
水の味わいは、トレッキングの楽しみのひとつでもある。
地図上に『名水』という言葉をみつけると、さらに想像力は高く舞い上がる。
そこでたっぷり水を汲んで、キャンプ地へ着いたらコーヒーを淹れよう、などと。
そんな楽しみをめいっぱい膨らませたいためにも、ペットボトルではなくお気に入りの水筒を持ち歩きたいのだ。
そういえばトレイルでは、ときどきペットボトルのゴミを見かける。
ペットボトルに水がまだ入っているところを見ると、故意に捨てたんじゃなくバックパックから滑り落ちたか、休憩したあとにうっかり忘れたのかもしれない。
お気に入りの水筒を持ち歩けば、そんな「うっかり」ゴミも少なくなる。
今年も、『贈りもの』の季節がやってきた。
「いっしょにおいしい水を飲みに行かないか?」と大好きな人を誘うために、素敵な水筒を物色している今冬である。
これはあの子に似合いそうだ、などとひとりつぶやきながら。
ぼくは、水をうまそうに飲む人が好きだ。
水がおいしいと思えるような生活を送っている人間こそが、ほんとうの美食家なんじゃないだろうか。
口から溢れださんばかりに「がぶがぶ」と水を飲む。
いつまでもそんな夏の日の少年のようでありたい、とぼくはこの歳になっても思っているのだ。