『ゴミのような男』と、いわれたことはないか?
ま、社会に背を向けて生きていれば、それもしょうがない。僕のことをそんなふうにいった人は、先見の明があるということだろう。
そんな『ゴミのような男』が、ゴミのことを語るのは心苦しいのだが、今日はゴミの話を。
ゴミのようではない諸兄諸姉は、ひとつごかんべんを。
ある日あるとき、南の島に『ゴミのような男』が集まった。
僕以外は、『ゴミのような男』と呼ばれたことがあるかどうかは知らないけど、ふだんのおこないからして、たぶん呼ばれたことがあるだろう。
それぞれをここに紹介すると切りがないので、名前だけを列挙しておく。敬意を表して。
大瀬志郎、山田真人、仲村忠明、仲村尚徳、そしてわたくし。
『ゴミのような男』五人衆が、無人島でゴミのことを語りあったのだ。焚き火を前にして。
「しかし、世の中にはゴミが多いよな」
「どうしてみんな、そこここに捨てるんだ?」
「民度の低さかな。日本人の」
「東京オリンピックなんて、恥ずかしくて開催できるわけがない」
「フィールドにゴミを捨てない」なんてのは、これを読んでくれているみんなにはいまさら言うまでもないだろうけど、話はもっと進んでいく。
「ふつうの感覚をもってれば、捨てるわけないやろ。こんなに素晴らしい場所がある。そしてこの場所におれたちは今夜停泊させてもらう、ということを実体験すれば」
「自然のありがたさとか美しさがわかってないんだ」
「自分の部屋よりも価値があるだろう場所に、ゴミを捨てる人はいないよな」
「たとえば『キャンプ場』とか、ある種『遊園地』のような場所を『自然』と思っている人が多いのかもな」
「自然の中で遊ぶ方法を、知らないんだ」
「自然の美しさとかありがたさを、ほんとうの意味で伝える人がいないのかもな」
「でもな、ゴミを『ゴミ箱に捨てる』ということも、もしかしたら考え直すことなんじゃないか?」
「ゴミ箱のその先、ゴミはどこへ行く?」
「人は、ゴミを捨てた瞬間に、そのゴミに関心がなくなる」
「おかしいよな。帰りの高速道路のサービスエリアのゴミ箱に、ゴミがあふれかえっているなんて」
「極論をいえば、フィールドにゴミを捨てるのも、知らない人のゴミ箱にゴミを捨てるのも、いっしょなんだよな」
「本来、自分が捨てる場所じゃないところにゴミを捨てる、という意味ではいっしょかもな」
「せめてゴミは全部持って帰りましょ。家まで」
「そうしたら、捨てた瞬間に自分が出したゴミに関心がなくなる、という感覚は防げるかもな」
「家のゴミ箱がいっぱいになる姿を毎日見てると、このゴミはどこからやってきて、どこへ行くんだ? って、やっぱり考えるよな」
「社会のゴミ、地球のゴミとは、いったいなんなんだ。ほんとうのところは?」
「てなことを本気で考えるなら、そこいらのゴミ箱にゴミを捨てるんじゃなく、せめて家まではもって帰るか。ゴミへの関心が薄れないよう・・・。」
かように、ある日の無人島で、ゴミ話に火がついたのだ。
話はかわって……。
10月15日~16日「ワイルドフィールズおじか」で、今年も『ムササビの夜』を開催します。5年目の『ムササビの夜』、ぜひ参加してください。
そして、ひとつお願いがあります。
このイベントでは、紙やプラスチックの使い捨ての皿やカップを使うのをやめましょう。
今回の『ムササビの夜』では(次回以降も)、フードブースでは皿やカップを用意しません。
なので、ご飯や飲みものを注文する人は、各自が自分の食器をブースに差し出してください。
また、ホットサンドコンテストでも使い捨てのお皿へ載せてのエントリーはご遠慮ください。
そして、スタッフも僕も、使い捨て食器を使いません。
キャンプが終わったあとのゴミが、使い捨てのカップや皿でいっぱいなのを見るたび、僕はうんざりします。
それになにより、僕は大好きなワインやコーヒーを紙コップで飲みたくないし、心を込めて作ってくれた料理を使い捨ての皿で食べたくありません。
おいしいものをおいしく食べる。
そんなキャンプにしましょう!
人間が文明とともに生きていく限り、ゴミは出るものなのだ。
それは当り前のことだ。こればかりはしょうがないことか。
だからこそ、「捨てたら終わり」じゃなく、ちゃんと最後まで見届けようよ。
すると、出るゴミが減るかもしれないし。
そして、『ゴミのような男』だといわれる人間が目の前にあらわれても、文明社会が続く限りゴミは出てくるものだから、大目に見てね。