ビル・メイスンの旅物語が聴こえてくる

ビル・メイスンの旅物語が聴こえてくる

カヌーは、いろんな川へぼくを連れだしてくれた。 そんなあるとき、これらの本と出合い、川旅の充実度がギアアップした。 どこへも出かけられない夜。ぼくはアームチェア・トラベラーとなり、赤ワインを飲みながら、いまもこれらの本を眺めているのである。

 今日は、ぼくのカヌーの師匠の話をしよう。  カナダのカヌーイストであり絵描きであり映像作家であり、そしてなによりもナチュラリスト(自然人)であった、ビル・メイスン(Bill Mason)だ。 (賢明な読者諸氏はすでに気 […]

 今日は、ぼくのカヌーの師匠の話をしよう。
 カナダのカヌーイストであり絵描きであり映像作家であり、そしてなによりもナチュラリスト(自然人)であった、ビル・メイスン(Bill Mason)だ。
(賢明な読者諸氏はすでに気がついているだろうけど、会ったこともなければ、ビル・メイスンはぼくのことなど知る由もない。いうまでもなく、わが心の師匠なのである)

 30数年ほど前のこと。日本にほとんどカヌーの情報がなかった時代、当時のカヌー好きはアメリカやヨーロッパのカヌー本を手に入れることにやっきになっていた。
 なんのことはない。ぼくもまたそのひとりだったのだ。
 インターネットのない時代である。海外からのアナログな通販と、たまの海外旅でいろんな本を買いあさっていた。

1980年に初版が発売された「SONG OF THE PADDLE」と「PATH OF THE PADDLE」。 何度も何度も眺め、本はぼろぼろに(すでに行方不明)。これは、数年前に買いかえたものだ。

1980年に初版が発売された「SONG OF THE PADDLE」と「PATH OF THE PADDLE」。
何度も何度も眺め、本はぼろぼろに(すでに行方不明)。これは、数年前に買いかえたものだ。

 そんなある日、「SONG OF THE PADDLE」と「PATH OF THE PADDLE」という2冊の本に出合ったのだ。
 これらは、オープンデッキカヌー(日本ではなぜか「カナディアンカヌー」と呼ばれているが、カナダやアメリカにそんな言葉はない)にキャンプ道具を積みこんで旅へ出るための本だ。
 「SONG OF THE PADDLE」は、旅のマニュアル。そして、「PATH OF THE PADDLE」は、パドリング技術のマニュアル本だ。

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「SONG OF THE PADDLE」にあるキャンプファイアテントの使い方と、作り方。こうしたページを眺めていると、川旅への妄想がどんどん広がっていくのだった。

「SONG OF THE PADDLE」にあるキャンプファイアテントの使い方と、作り方。こうしたページを眺めていると、川旅への妄想がどんどん広がっていくのだった。

 掲載されている多くの写真は、リアリティに富んだものばかり(実際の旅のシーンだから、当たり前のことだけど)。
 キャンプファイアテントや焚き火台やウッドストーブの作り方。タープの張り方。それに焚き火で使うリフレクターオーブンの写真なんかもあった。
 毎日のように本のページをめくりながら、夢を見た。これほどまでに想像力をかきたててくれた本とは、いまだ出合ったことがない。

「PATH OF THE PADDLE」の「Indian stroke」解説ページ。ぼくがいちばん好きで、いつも使っているストロークだ。川で出会ったなら、その極意をきみに教えてあげよう。 「The Indian stroke is a stroke that no canoeist should be without.」だとさ。

「PATH OF THE PADDLE」の「Indian stroke」解説ページ。ぼくがいちばん好きで、いつも使っているストロークだ。川で出会ったなら、その極意をきみに教えてあげよう。
「The Indian stroke is a stroke that no canoeist should be without.」だとさ。

 その後しばらくして、ビル・メイスンがいくつものビデオ作品を出していることを知った。今度はビデオ収集である。
 カヌーを風防としてたてかけ、小さな焚き火のすぐ横で眠る。その映像に、心が震えた。
 ぼくはすぐにカヌーとともに川へ出かけ、真似をして眠ったのだった。
(そんな経験から「ムササビウイング」というタープを思いついたのだ)

 それからはことあるごと、ビル・メイスンの真似をした。
 キャンプスタイルも、装備も、漕ぎ方も。
 川旅の途上で絵を描くというのも真似たけど、絵がへたくそなぼくにはとても続かなかった。

 あるときのカナダへの旅で(1980年代の終わりだった)、アウトドア事情にくわしいひとりのカナダ人に「ビル・メイスンに会いたい」と、いってみた。
 すると、彼はすぐにいろいろ調べてくれた。
 そして申し訳なさそうな顔をして、「ビル・メイスンは癌で亡くなった」といったのだった。
 1929年、カナダ・マニトバ州ウィニペグで生まれ、1988年、ケベック州ミーチレイクで死去。59歳だった(なんと、いまのぼくの歳だ)。

これはビル・メイスンの死後、1995年に出版された画集(ハードカバー)。旅の途上で、ビル・メイスンが描いた絵を集めたもの。 また、いくつかのビデオ作品も持っていたが、いまは押入れの段ボール箱のなか(たぶん)。 なんと! たったいま知ったけど、ビル・メイスンの映像作品の多くは、YouTubeで観ることができる。このブログを更新したら、しばし浸ることにしよう。

これはビル・メイスンの死後、1995年に出版された画集(ハードカバー)。旅の途上で、ビル・メイスンが描いた絵を集めたもの。
また、いくつかのビデオ作品も持っていたが、いまは押入れの段ボール箱のなか(たぶん)。
なんと! たったいま知ったけど、ビル・メイスンの映像作品の多くは、You Tubeで観ることができる。このブログを更新したら、しばし浸ることにしよう。