早朝の空気に背筋が伸びる。芦ノ湖の水は手が切れてしまったんじゃないか、というほど冷たい。
4月になったとはいえ、湖畔の春は遠い。なんたって、今朝のキャンプサイトではなにもかもが凍っていたのだから。
湖へ踏み込むと、ウェーダーをとおして水の冷たさが体に凍みわたる。
湖面は朝日を浴びてきらめている。
これなんだ。この感覚だ。しばらく忘れていたやつだ。
そう。ちゃんと地球に向き合う、という感覚だ。
と同時に、もうひとつ忘れていたことがあった。
ぼくのフライフィッシング歴は長い。が、「長い=うまい」ではない、ということだ。
ここは大事なところで、ぼくもうっかり忘れていたが、みんなも勘違いしてもらっては困るのだ。期待されるともっと困る。
「釣りの99パーセントは運だから」などといいつつ芦ノ湖に立ちこんで、6番ラインのフライフィッシングロッドを振るのだった。
道具は、ワイルドワン入間店の角田太郎が選んでくれた。間違いはない。
「フライは、まずこれでいってみましょう」
今いちばん釣れてる、というやつだ。
なんと! 道具がよかったのか。運か。腕が優れていたのか。
3回目のキャストで、「おおっ!」。
ロッドが大きく曲がっている。
みんながぼくのほうを見る。
湖に立ちこんでわずか5分。ぼくのフライロッドは大きく曲がったのである。
そうか! 「長い=うまい」なのかもしれない。
が、やっぱり「長い=うまい」ではなかったのだ。
ただの「根がかり」である。
みんなの期待に満ちた歓声が、大きなため息にかわるのだった。静かな湖面を通じて、その音が伝わってくる。
ま、そう焦るなよ。ぼくは静かにつぶやいた。
こんな感じで、芦ノ湖フライフィッシングの朝がはじまった。
すぐに、100メートルほど離れたところに立ちこんでいる角田が「きたっ!」と叫んだ。
が、ぐっと曲がったロッドが、緊張が解けたかのようにまっすぐ伸びた。
「あああ。ばらしてしまった」角田は肩を落とす。
「今のは大きかったな」とか、「どうしてこんなときに……」とか、「よりによって……」とか。
角田は、力なくぼそぼそと湖面につぶやいている。
と、その100メートルほど向こうで釣っている見知らぬ釣り人のロッドが曲がり、湖面が崩れている。どうやら大物を釣り上げたようだ。
と、さらにその向こう100メートルほどで釣っているこれも見知らぬ釣り人のロッドが曲がっているではないか。
よくあることだ。並んだ列が悪かったのだ。
運悪くぼくの並んだ列だけが、買い物かごいっぱいの人たちが集まってしまったのだ。いまさら並びなおすより、この列でじっと待てばいいのだ。だいじょうぶ。じっと待てば、すぐにおれの順番がやってくる。
「フィッシュ・オン!」と叫ぶ瞬間がもうすぐ来るはずなのだ。神さまはすべての人に平等なのだ。
それからどれくらいたっただろうか。
顔を上げると太陽は高くのぼりつめている。気温もずいぶん上がってきた。
しかし、ぼくの順番は来なかった。
この時代、どうやら神さまは忙しいらしい。しようがない。ぼくのことはいい。神さまには世界平和を最優先で動いてもらうことにしよう。
「場所を変えよう」とか、「フライが違うんじゃないか」とか、「あと5メートルキャストしよう」とか、「ほんとに魚がいるのか」などなど……。
なんだかんだと騒いでいたが、いつの間にかだれもが一言もしゃべらなくなってしまった。
釣りの奥義は、「Study to be Quiet.(スタディ・トゥ・ビー・クワイエット)」である。
「静かなることを学べ」とでも訳すか。ちょっと意訳して「ゆったりと生きろ」とするか。もっと超訳して「ま、ぼちぼち行こや」でもいいかな。
半日、芦ノ湖に立ちこむことで、少なくともわれわれは「静か」になった。
とぼとぼ湖畔を歩きながら。だれも口を開かない。うつむいたままだ。
「ぼちぼち、帰ろか」。声は、どこまでも小さい。
どうやら、われわれが奥義を手にする日も近いだろう。
(写真=菊地晶太)