旅の途上で『村上春樹』

旅の途上で『村上春樹』

秋の夜長に、「長い旅へ持ち歩く本は?」と、考えてみた。 が、ここに紹介しているのは「昼下がりの縁側でビールを飲みながら読む本」となってしまった。

 20代前半のある日、僕は村上春樹の『風の歌を聴け』という小説と出合った。  当時、僕が読んでいたのはほとんどがアメリカかイギリス作家の小説だった。 「アメリカ文学が好きなら、これ、おもしろいよ」と、友人にすすめられたの […]

 20代前半のある日、僕は村上春樹の『風の歌を聴け』という小説と出合った。
 当時、僕が読んでいたのはほとんどがアメリカかイギリス作家の小説だった。
「アメリカ文学が好きなら、これ、おもしろいよ」と、友人にすすめられたのだ。村上春樹が群像新人賞を取って(デビューして)、すぐのことだった。
 読んですぐに夢中になった。
 でも、アメリカ的というより、無国籍。読み進むと、すごく日本を感じた。
 その理由は、いまだになぜかわからないけど。

 それはともかく。
 というわけで、村上春樹作品との長いつきあいがはじまった。
 が、あるときからまったく読まなくなってしまった。これも、その理由がなぜかはわからない。
 数多い村上春樹ファンは、「むっ!」とするかもしれないけど(すいません)。
 僕が変わってしまったのか、作品が変わってしまったのか、あるいは時代が変わってしまったのか。
 それとも、なにもかもが頑固に変わらなかったからか……。

1998年に出版された『辺境・近況』(新潮社)。アメリカやメキシコ、ノモンハンなどの辺境から讃岐うどん旅まで。旅のエッセイ。

1998年に出版された『辺境・近況』(新潮社)。アメリカやメキシコ、ノモンハンなどの辺境から讃岐うどん旅まで。旅のエッセイ。

 小説は読まなくなったけど、でも村上春樹のエッセイはいまでも読む(とはいっても、全部じゃないです。これまた、すいません)。
 ある種のエッセイのレイドバックした文章のリズムが、僕には心地いいのだ。
 こういっちゃなんだけど、まったくもって深刻じゃないのがいい。せちがない時代に背を向けている村上春樹がいるからだろう。
 そしてその文章の向こうに、ときに「旅人・村上春樹」を感じるからかもしれない。
「好きなことをして、折にふれてつまらない冗談をいって、日が暮れたら冷えたビールを飲む、人生これがいちばんです」てなことを、村上春樹がいうと(書いていると)、「ほっ」とするよな。

『おおきなかぶ、むずかしいアボカド』(マガジンハウス)や「スメルジャコフ対織田信長家臣団』(朝日新聞社)あたりを読むと、人生が軽くなる。これ以上、軽くなっても困るんだけど。僕の場合は。

『おおきなかぶ、むずかしいアボカド』(マガジンハウス)や「スメルジャコフ対織田信長家臣団』(朝日新聞社)あたりを読むと、人生が軽くなる。これ以上、軽くなっても困るんだけど。僕の場合は。

 僕が好きなのは、回文カルタの『またたび浴びたタマ』(文藝春秋)。
「あ」から「わ」までの回文が、「これでもか」と続いてくる。
 日向ぼっこのような文章がつづられている。力の抜け具合が、ふつうじゃない。
 読みすすむと、身体中のすべての関節が外れてしまうような感覚に陥る。教えてもらったヨガやへたなストレッチより、身体と心を圧倒的にゆるめてくれる。
 冷えきった時代にミストサウナがありがたいように。乾いた心にひとしずくのオイルを落としてくれるかのように。
 昼下がりの縁側で膝枕にうつらうつらしながら耳掃除をしてもらっているような感じでもある。
 日向ぼっここそが、人生のすべてのような気になってくる。
(この本は、いつの間にかわが本棚から逃亡してしまったようだ。今回、写真を撮ろうと思ったけど、どこにも見あたらない)

単行本8冊分というボリュームの電子書籍版『村上さんのところ コンプリート版』(新潮社)。読み終わる気がしない。

単行本8冊分というボリュームの電子書籍版『村上さんのところ コンプリート版』(新潮社)。読み終わる気がしない。

 そういえば、15年ほど前の冬のこと。
 カナダの北極圏に近い田舎町フォートスミスの空港で、ふたりの日本人女性に会った。
 駐車場には、地元民たちの質実剛健なピクアップトラックしか停まっていないような小さな空港だ。
 なによりもそこに、僕は日本人がいたことに驚いた(それは向こうも同じだっただろう)。
 清楚ないでたち。しかも旅慣れている、という印象のふたりだった。
 この町を離れるために、待合室にいたのだった(待合室も到着ロビーも同じ場所。安っぽいベンチがいくつか並んでいるだけだが、どこか温かみのある空港だ)。
 ひと言ふた言、話をした。すれ違いの観光客同士がするような、当たり前の会話を。

 その夜、町にひとつしかないB&Bで、「ハルキムラカミという作家を知っているか?」と、オーナーに聞かれた。
「もちろん。日本で一番有名な現代作家だ」と、僕。
「空港ですれ違っただろ。ふたりの日本人女性に。彼女たちは、ハルキムラカミの秘書だそうだ」。
 そのときの僕は、「へぇー」と間抜けな言葉しか出てこなかった。
 もっとも、いま一度どこかで同じようなことに出くわしても、「へぇー」としかいえないだろうけどね。

最新刊の『職業としての小説家』(スイッチ・パブリッシング)。自伝的エッセイ、ということらしい。明日から読もうかな。

最新刊の『職業としての小説家』(スイッチ・パブリッシング)。自伝的エッセイ、ということらしい。明日から読もうかな。