暖衣飽食の日々から逃れて

暖衣飽食の日々から逃れて

いくら歩いても、人は煩悩を捨てることができない。 北アルプス縦走ひとり旅は、またまたそんなことを教えてくれたのだった。

「ゆっくり歩めば、遠くまで」とうたいながら、目の前にどこまでも続く長い長い道をひとりで歩いている。 「なにも考 […]

「ゆっくり歩めば、遠くまで」とうたいながら、目の前にどこまでも続く長い長い道をひとりで歩いている。
「なにも考えるな」とつぶやいても、頭の中をいろんな思いが交錯する。都会でのいろんなことを忘れたいがために、ここまでやってきたのに……。

 でも、だいじょうぶ。
 もうすぐ、一歩一歩踏み出すトレッキングブーツのすぐ横に汗がしたたり落ち、肩で息をするほど疲れてきたら、すべてを忘れてしまうから。
 こうして、いつものように夏の山旅がはじまったのだった。

 ここは、北アルプス。
 人生から転がり落ちるような怠惰な日々を東京で過ごしていたぼくは、ふと北アルプスを思い出し、歩いてみることにした。
 都会での暖衣飽食の日々に、飽き飽きしていたのだ。
 夏の北アルプスには、なにかがある(はずだ)。

旅の宿は、ニーモ。テント内にストレスなく座ることができる、というのがぼくのテント選びの基本だ。

旅の宿は、ニーモ。テント内にストレスなく座ることができる、というのがぼくのテント選びの基本だ。

 まずは、雲ノ平へ。
 2年前の夏。三俣蓮華岳から黒部五郎岳、太郎平、薬師岳と続く長い稜線を歩きながら、遠くに見つけた平らな台地を「なんだか幸せそうな丘だな」と、思って眺めていたのだった。
 なので、まずは雲ノ平へ。そして、そのあとは予定を決めずに徘徊の山旅だ。
 たどり着いたその場で、「明日はどこへ行こうかな」と地図を見ながら思いを巡らす、というスタイル。

こんな道標を見たら、高天原の温泉に行きたくなるよな。

こんな道標を見たら、高天原の温泉に行きたくなるよな。

 雲ノ平まで来たなら、温泉のある高天原へ。
 どかんと存在感をアピールする水晶岳へも行ってみたい。鷲羽岳もいいな。
 と、順番に歩いていく毎日である。
 ならば、北アルプスの中央に位置する赤牛岳へも行ってみるか。
 そして、赤牛岳へ登ったなら長い長い読売新道を歩くしかないだろう。

いつものように、クリフバーとクリフショットブロックのお世話になった山旅の日々。

いつものように、クリフバーとクリフショットブロックのお世話になった山旅の日々。

 ひとつの山へ登ると、またひとつ行きたい場所が顔をのぞかせる。
「では!」と、そこへ登る。
 と、またひとつ山が誘ってくる。「こっちにも来いよ」って。
 で、明日の予定が決まる。
 こうして8日間を超えたひとり旅が続いていくのだった。

話しかけるのもぼくならば、それに答えるのもぼくだ。ひとり旅とは、そういうもんだ。

話しかけるのもぼくならば、それに答えるのもぼくだ。ひとり旅とは、そういうもんだ。

 それにしても、この山域は奥が深い。
 旅へ出るたび、日本の陸地の狭さを嘆いていた若き日が、まったく「あほ」だったといまさらながらに思うのだった。
 歩いても歩いても、どこへたどり着かない。
 旅も3日を過ぎると、そのことがうれしくなってくる。
 もうどこへもたどり着かなくていい。どこへも帰りたくない。

旅の最後は、長い長い読売新道を歩く。

旅の最後は、長い長い読売新道を歩く。

 ところが……。
 一週間を過ぎ、いやでも帰る日が近づいてくる。
 と、途端に手のひらを返したかの如く、わが思考は「俗」となる。

 今日までひとりでがんばったんだから、帰ったら、まずはぜいたくだ!
 暖衣飽食もいいじゃないか。なんなら、暴飲暴食でもいいぞ。
 東京へ帰ったら、ドライエイジドビーフのでっかいステーキを食べよう。前々から目をつけていたあの店で。もちろん、フルボディの赤ワインもいっしょに。
 まぶたの奥に焼けた肉の情景がちらつく。鼻をひくひくさせると、なにやら匂いまでしてくるではないか。口の中には唾が充満してきた。
 と、小さな石ころに足をとられ「おおおおっ」と、わが身体が滑り出す。
 ぼくは、人生ばかりか、北アルプスの大斜面を転げ落ちそうになるのだった。

今回の北アルプス縦走物語は、来春発売の「TRAMPIN’(トランピン)」に執筆予定。乞うご期待!

今回の北アルプス縦走物語は、来春発売の「TRAMPIN’(トランピン)」に執筆予定。乞うご期待!