ウラヤマで革命家を気取る

ウラヤマで革命家を気取る

ウラヤマもまた、ブルース(憂鬱)を抱えている。 都会に近い分だけ、人間同様、しんどいのかもしれないな。 でも、ウラヤマには宝物がいっぱい埋まっているのだ。

 立春はとっくに過ぎ去ったのに、寒い日々がつづいている。  とはいえ、西高東低の冬型気圧配置がばっちり決まると […]

 立春はとっくに過ぎ去ったのに、寒い日々がつづいている。
 とはいえ、西高東低の冬型気圧配置がばっちり決まると、東京は晴天となる。
 みごとなまでに透きとおった冬の青空を見上げると、炬燵にもぐりこみ「コタツムリ」と化して一日をぼんやり過ごすわけにはいかない。
 小さなバックパックにいつもの荷物を放りこみ、トレッキングシューズを履いて、ついついウラヤマへと出かけてしまうのだった。

 持っていく道具は……。ウェアは……。
 うーむ。いつもといっしょだ。
 自然素材のウエアに帆布のバックパック。小さなアルコールストーブとホットサンドメーカー。ミッドカットのチロリアンブーツを履いて、手にはクロモジの木で作ったばかりのウォーキングスタッフ。

 ホットサンドメーカーとアルコールストーブを持っていくのは、ぜいたくなものを作ろうというわけではない。
 山でコンビニエンスストアーの弁当は食べたくない、ということだ。
 コンビニやファーストフード店。ファミリーレストランやどこへ行っても同じものが売られている全国チェーンのスーパーマーケット。
 世界中の味を統一することに熱心すぎる世の中に、ぼくは反旗を振りかざしているのだ(というほど、大げさなもんじゃないけど)。

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ときには、ウラヤマトレッキング・デート! そんな幸せな一日もある。4年に1度くらいだけど、ね。 かわいい女の子といっしょのときは、いいところを見せようと食材や道具にこだわり、荷物はいつもの倍以上になってしまう。

ときには、ウラヤマトレッキング・デート!
そんな幸せな一日もある。4年に1度くらいだけど、ね。
かわいい女の子といっしょのときは、いいところを見せようと食材や道具にこだわり、荷物はいつもの倍以上になってしまう。

 いずれにせよ、冷たい空気に包まれ、落ち葉だらけの道を踏みしめ(ときには足を滑らせ)、がさがさと歩きつづけるのだ。
 それにしても、落ち葉の多さよ。吹きだまりには、1メートル以上も落ち葉が積もっている(だれも見てないときには、ダイブしたり……)。
 この落ち葉も、やがて腐葉土となり、養分として山とそれを取り巻く生きものを育んでいくのだろう。自然界には、なにひとつ無駄なものがない。
 それに引きかえ、人間界にはまったくもって無駄なものが多い。あるいは、無駄な者が多い。
 と書くと、「その筆頭は、お前だろ」とか、「このサイトもな」などといわれそうだから、人間界の無駄を追求する話は、今日のところはやめておこう。

ウラヤマのトレイルにも発見がいっぱいある。低山には、動物の痕跡が多い。 クルミの実に穴が。中身はもちろんからっぽ。囓ったのはアカネズミかな。

ウラヤマのトレイルにも発見がいっぱいある。低山には、動物の痕跡が多い。
クルミの実に穴が。中身はもちろんからっぽ。囓ったのはアカネズミかな。

 しかし、さすが関東のウラヤマである。この季節でも、何人かと出会う。いろんな計画とルート選択で、みんなウラヤマ低山縦走路を楽しんでいるのだ。
 走っている人もいる。手提げバッグの普段着の人もいる。
 もちろん、山ガールもいる。
 運がよければ、素敵な山ガールとの出会いもあるだろう。

こちらは、リスのしわざだな。 こうした動物の痕跡が気になりだすと、下ばかりを見て歩くことに。 二十歳のころ谷川俊太郎さんの詩集『うつむく青年』を何度も読みかえした。そのおかげで、ウラヤマを歩くぼくは、うつむく中年(?)である。

こちらは、リスのしわざだな。
こうした動物の痕跡が気になりだすと、下ばかりを見て歩くことに。
二十歳のころ谷川俊太郎さんの詩集『うつむく青年』を何度も読みかえした。そのおかげで、ウラヤマを歩くぼくは、うつむく中年(?)である。

 が、運悪く、熊鈴をつけた男がうしろから迫ってきた。
 おれは熊鈴がきらいなんだ。ましてやここで熊鈴とは……。
 追い越すならさっさと行ってくれ。と願ったが、熊鈴男は微妙な距離でうしろを歩いている。
 鈴の音が気になる。気になりはじめると、ますます耳障りだ。

突然、足もとから「なんかちょうだい!」とイタチが。

突然、足もとから「なんかちょうだい!」とイタチが。

 関東のウラヤマにも、クマはいる。
 さっきの熊鈴男はぜったい気がついていないだろうけど、すぐそこのトレイル脇の木肌にクマの爪痕を見たし、今朝からクマ棚をいくつも見た。
 クマと出会わない方法は、真剣に考えるほうがいい(もっとも、ぼくはクマと出会いたいんだけど……)。
 なので、鈴を鳴らしながら歩いている人の気持ちが、わからないわけではない。
 でも、自分の鈴の音に慣れてしまった人間には、静けさを楽しんでいる人もいる、ということが理解できないのだろう。
 たばこの煙と同じようなもんだ。レストランや飲み屋でも禁煙席が当たり前の世の中である。禁鈴の山があってもいいんじゃないか、と思うことさえある。
 振りかえると、マシュマロのようにやわらかい顔をした若い男が、「わたしが、クマからみんなを守ってます」みたいな正義感を振りまいている。乳製品だけで育った男に違いない。

下ばかりを見ていてたら、樹の上に哲学者が。 「住みづらい時代は、人間社会ばかりやないで。ま、ゆっくりしていけよ」と、話しかけてきた。

下ばかりを見ていてたら、樹の上に哲学者が。
「住みづらい時代は、人間社会ばかりやないで。ま、ゆっくりしていけよ」と、話しかけてきた。

 ウラヤマにも、多くの動物が多様に暮らしているのだ。
 だからなんだろうけど、あなどりがたい魅力があるんだよな、これら低山には。
 ウラヤマの魅力は動物だけではない。ウラヤマには、宝物がいっぱい埋まっているのだ。
 いや、山だけではなく、川や海も。ぼくは関東の海や川や山が好きだ。
 関東には、日本の総人口の3分の1が暮らしている。
 何千万人という扶養家族をいっぱい抱えている山や川は、一筋縄では表現できない。
 都会と隣接して存在する自然は、なにやら切なくもおかしく、人間の身勝手な開発に左右されながらも、文明に流されないよう必死でがんばっている。そこには、哀愁が漂っていることもあるし、嬉々とした笑顔を見いだすこともある。
 都市近郊の自然は、この先どんなふうになっていくのだろうか。

森のなかには、クマ棚があちこちに。秋に、ツキノワグマが木に登って実を食べた跡だ。

森のなかには、クマ棚があちこちに。秋に、ツキノワグマが木に登って実を食べた跡だ。

 と、深遠なことを考えていたら、頭が痛くなってきた。おまけに、目もかすんできた。と思ったら、夕闇が近づいているのだ。
 出発時間は早かったのだが、途中、ゆっくりしすぎたため、暗くなってきたのだ。冬の日暮れは早い。暗くなる前には下山したいところだが、ま、ここは一般的道徳観念にしばし目をつむってもらうしかない。
 ヘッドランプをとりだして、下山道をゆっくり歩む。
 下界へたどり着いたときには、すっかり暗くなっていた。
 ぼくは、いちばん最初に目についた店へ駆け込んで、生ビールを注文した。

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木肌には、木登り好きのツキノワグマの爪の跡がくっきり。(動物の痕跡写真は、撮影=安部滋)

木肌には、木登り好きのツキノワグマの爪の跡がくっきり。(動物の痕跡写真は、撮影=安部滋)